冬でもキレイな手元で
歴史に残る最高傑作「ジレットフュージョンプログライド」。その誕生の背景には、ジレットに息づく発明と研究のDNAがあった。現在に続くジレットの歴史は、産業革命を経て工業化社会に世界が進みはじめた19世紀末、エジソンをはじめ多くの発明家が生まれた時代に「もっと安全で楽にヒゲを剃りたい」と考えた一人の男から始まった。
1800年から1900年にかけて、今でも理髪店で使われている一枚刃のヒゲ剃り「ストレートエッジ剃刀」の黄金期でした。しかし、この剃刀は刃を砥ぐのに目の細かい高価な砥石が必要なうえに、使いこなすのにも習熟が必要。男性たちは口髭とあごひげの手入れをしてもらうために理髪店に通うか、剃刀を理髪店に持って行って研いでもらうしかありませんでした。カミソリの手入れを怠れば、すぐに顔に傷がつき血が流れてしまいます。多くの男性たちは毎朝行うこの効率の悪い作業にイライラを募らせていました。
この頃アメリカは、南北戦争が終わり、工業化社会にシフトし始めます。知的所有権や意匠権、発明などで特許を得ることで富を得ることができるようになりました。エジソンが活躍したのもこの時代。知恵とアイデアがあれば誰でも発明家として成功できる可能性があるのです。多くの発明家がこの時代に誕生しましたが、「T字型カミソリ」を発明したキング・C・ジレットもその中の1人でした。
当時40才で包装材メーカーのセールスマンをしていたアメリカ人、キング・C・ジレットは、切れ味の悪い西洋カミソリにイライラしていました。切れ味の良い安全なカミソリはないものかと鏡の前で思案にくれている時、突然アイデアがひらめき、自らその開発に取り組みました。そして彼は、すぐさま真鍮、時計スプリング材、万力、ヤスリなどを金物屋から取り寄せ、カミソリのスケッチを作成しました。彼が考えた新しいカミソリこそ、現代のカミソリの原型となる、刃の取り替えが簡単にできるT字型カミソリでした。
ジレットのT字型カミソリは、1904年に正式に米国の特許を取得し、1905年の終わりには25万個のレザーセットと10万個の刃のパック(12枚入り)を売り上げ、次第に軌道にのり始めました。当時の製品には、ジレット本人の顔が描かれ、「切れ味の良い=安全なカミソリを多くの人に知ってもらいたい!」というジレット自身のメッセージが込められていました。そして1914年には第一次世界大戦が始まります。大戦中に米国政府は、何百万人もの兵士のために、ジレット社に350万個のレザーセットと3,600万枚の刃を発注し、ボストンの工場はその生産に追われました。安全カミソリを知らなかった兵士たちは、その便利さに驚くと共に、それまで床屋でヒゲ剃りをしていた男たちは自分で剃るという習慣を身につけるようになりました。そして、戦場から家庭に戻った後もこの習慣は続き、全米にジレット製品が一挙に広がり、毎日のヒゲ剃りの習慣が定着し始めたのです。それから100年あまり。時が経った現在も進化をやめないジレットの最新技術。「完璧」を追求するジレットのDNAは、これからも続いていきます。